Don Quijote
緒方先生と橋口先生の交信メールの中で、「酒の肴では行動は起こせないよ。やはり行動するとなるとドン・キホーテだよ。そう言えば、恒志会のホームページに片山先生のドン・キホーテ論は載ってないよね。」
そもそもは、ここから始まった。確かに、ドン・キホーテと言われれば、どこかで片山先生とダブる。
緒方先生が、平井さんがセミナーで「影山正治のドン・キホーテ」を朗読したことがあったと。
複数の理事から「そんな記憶がある」という返事。
平井さんから送っていただいたセミナー資料を丹念に調べてみたところ、影山正治のドン・キホーテの詩が見つかった。ドン・キホーテ
われはかの
ハムレットなり
ハムレットは
即ちわれならずや
ほころかに
世の知識人ら
多くはかく云えり神を失へる近代の知識人ら
自らの心のおももちを
かのハムレットの
暗き生涯の上に
ほのかにも
思出さむとするか
常に疑ひ常に動揺し
常に渋面し常に不安なりし
かの皇子ハムレットの上にされどわれは愛すかのドン・キホーテを
常に正しきを愛して正しさのために敗れ
常に美しさを求めて
美しさのために傷つく
論ぜず語らず
黙々として難に向ひ
欣々として死を堵す認められず報いられず
心常に揚々として疑わず
神を信じて明らかなりきわれ夜半
ドン・キホーテをしのび
心そぞろに熟し
涙さんさんとして
わが蒼頬を下るハムレットを愛すると云ふや
ドン・キホーテを嗤ふと云ふや
世の近代人よ
ハムレットは剣を抜けり
諸君は剣を抜かず
ハムレットは敵を刺せり
諸君は敵を刺さず
ハムレットは自らを殺せり
諸君は自らを殺さず
あはれなる近代人よ
ああ 諸君はつひに
ハムレットの徒にてもあらざりき
いはむや
ハムレットはつひに
遠く
ドン・キホーテに及ばざりき
ハムレットの斃れたるところより
ドン・キホーテは
実に悠々として出発したるなり
天衣無縫
融通無礙
かのドン・キホーテはしかありきあはれなる近代の知識人らよ
さんさんたる天日の前に
心覆ふところなく
今こそ
自らの卑小を認め
いさぎよく
まづはその近代的迷信を捨てさり
遠き海彼の国津神にはあれど
かのドン・キホーテをこそ
その心深きに
呼び祀れかし
大いなる転生(てんじゃう)
即ちそこより
世界の上に起らん
影山正治 (昭和15.1)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『ドン・キホーテ』(Don Quijote、Don Quixote)は、スペインの作家ミゲル・デ・セルバンテスの小説
「ラ・マンチャの男・キホーテ卿」と名乗り、痩せこけた馬のロシナンテにまたがり、従者サンチョ・パンサを引きつれ遍歴の旅に出かける物語である。
1605年に出版された前編と、1615年に出版された後編がある。
折しも、シェークスピアの「ハムレット」上演公刊の年も同じ1605年と言われているが、スペインはすでにグレゴリオ暦を採用しており、当時のイギリスはまだユリウス暦を使っていたため、同じ年ではない。当初、この本は滑稽本として世界中の人々に愛されてきたが、19世紀になると、ドイツ・ロマン派の哲学者・文学者を皮切りに、誰もが『ドン・キホーテ』を賛美し憧れるようになった。
ドストエフスキーは、「『ドン・キホーテ』は人間の天才によって創造されたあらゆる書物のなかで、最も偉大な最も憂鬱な書物だ」と『作家の日記』の中に記している。
ツルゲーネフは「ハムレットとドン・キホーテ」という講演で、「私には、この二つのタイプの中に人間の本性の根本的なしかも相反する二つの特質が具現されているように思われます。人間の本性がそれをめぐって廻転する同じ軸の両端なのであります。私には、あらゆる人間が程度の差こそあれこれら二つのタイプのいずれかに属し、我々のほとんど一人一人があるいはドン・キホーテの方に、あるいはハムレットの方に外れているように思われます。なるほど現代においては、ハムレットの方がドン・キホーテよりも甚だしく多数になりましたが、しかしドン・キホーテも死に絶えているわけではございません。」と語っている。『ドン・キホーテ』は、それまでの、円の中心を目指したルネッサンスを脱却したバロックのように、楕円の二つの焦点、すなわち複数の中心を持つことによって正と負の価値を等価的に見出す小説の形態を持った最初の作品と言われている。
神の真実から解き放されて、人間によって分担される無数の相対的真理が近代に向かって解き放されたのである。小説の誕生である。
すなわち、それまでの物語は、絶対真実の神の掟を中心に描かれていたが、『ドン・キホーテ』では、主人公の自意識や人間的な成長などの「個」の視点を盛り込むなど、それまでの物語とは大きく異なる技法や視点が導入された。従者サンチョ・パンサの台詞には、それまでの騎士道英雄譚では一切表現されなかった「人間」が刻み込まれている。
「ああ、懐しい故郷・・・
ドン・キホーテ様は他人にうち負かされはしたものの、御自分には打ち勝って戻りなさったんだよ。旦那様のいいなさるには、おのれに勝つってのは、勝利のなかでも一番すごいんだそうだ。・・・」このような文学論に拘泥せずとも、騎士道を信じて疑わない主人公の不条理かつ突拍子もない言動の数々を喜劇仕立てで描いていると同時に、年老いてからも夢や希望、正義を胸に遍歴の旅を続けるその姿が多くの人の感動をよんだのであろう。
そして、この作品は、哲学者や文学者だけでなく音楽家や画家にも多大な影響を与えており、歌劇、交響曲、バレエ、映画、絵画、ミュージカル等々に表現されている。
とりわけ、 Joe Darion作詞によるTHE IMPOSSIBLE DREAMは、映画やミュージカルのテーマソングになり、世界中の人々に感銘を与え続けている。
日本でも、岩谷時子や多くの作詞家、市民までもが翻訳している。
この詩には、それほどの魅力があるのだろう。注
THE IMPOSSIBLE DREAMの13〜16行目の To fight for the right Without question or pause To be willing to march into Hell For a heavenly cause が To be willing to give, when there’s no more to give To be willing to die so that honor and justice may live になっている詩もあるが、時代の趨勢に合わせ、劇的な表現を和らげ、聞きやすくしたのだろう(または宗教色を消した)。付録1
夏目漱石は、ロンドンへ留学したとき(明治33年)さっそくにドン・キホーテの英訳を(当時2種類の英訳版があってその2種類共)購入し、一冊は克明に読んだようです。
『文学論』に引用もしているのは当然、『坊っちゃん』や『我輩は猫である』にはドン・キホーテの影響が濃く落ちています。
というより漱石が留学して読みふけった当時のイギリスの17世紀、18世紀の文豪たち、デフォーもスモレットもスターンもフィールディングも、みんな『ドン・キホーテ』を文学の師と仰いで作品を作っていた人たちでした。
坪内逍遙にもドン・キホーテ論があり、内村鑑三だって論じています。
『ドン・キホーテ』は、世界の文豪のみならず日本近代文学の歩みにも大きな影響を与えたのです。付録2
左の写真は「世界の旅 スペイン」より
マドリッドの目抜き通り、グラン・ビアの終点に位置するスペイン広場は、7世紀に活躍したスペインの文豪、セルバンテス(1547~1616年)を記念して1930年に造られたモニュメントと像のある広場で、記念撮影のポイントとして人気が高い場所になっています。周囲にスペイン・ビルやマドリッド・タワーなど20世紀中頃に造られたビルが建っている広場の中央には、セルバンテスのモニュメント、その前には小説の主人公ドン・キホーテと従者サンチョ・パンサの像があります。
片山先生がスペイン旅行に行った時、中浦さんが片山先生をドン・キホーテ像を背景に写真を撮ったのですが、片山先生が写っていません。
ピント合わせをしているうちに先生が、枠から出られたとのことです。
その写真も紛失してしまいました。同じアングルの写真が、「世界の旅 スペイン」の本に、大きく鮮明に映っていましたので、ここに片山先生が立っていると想像してください。
片山先生の上背はドン・キホーテの膝のあたりでしょうか。THE IMPOSSIBLE DREAM
多くの訳者がいる
THE IMPOSSIBLE DREAM
written by Joe Darion
To dream the impossible dream
To fight the unbeatable foe
To bear with unbearable sorrow
To run where the brave dare not go
To right the unrightable wrong
To love pure and chaste from afar
To try when your arms are too weary
To reach the unreachable star
This is my quest
To follow that star
No matter how hopeless
No matter how far
To fight for the right
Without question or pause
To be willing to march into Hell
For a heavenly cause
And I know if I'll only be true
To this glorious quest
That my heart will lie peaceful and calm
When I'm laid to my rest
And the world will be better for this
That one man, scorned and covered with scars
Still strove with his last ounce of courage
To reach the unreachable star見果てぬ夢
ミスター・ビーン訳
見果てぬ夢を夢み
敵(かな)わぬ敵と戦う
耐えがたき悲しみに耐え
勇者ですら怯(ひる)む場所へと向かう
糺(ただ)し難き不正を糺し
彼方より清く純潔なるものを愛する
両腕が萎え、疲れても諦めず
届かぬ星を目指す
これぞ我が求めるもの
いかに望みは薄く
いかに遠くにあろうとも
あの星の後を追う
疑うこともなく、休むこともなく
正義のために戦う
神の定めとあらば
地獄へ向かうことも厭(いと)いはせぬ
この栄光に満ちた探求に
忠実でありさえすれば
死の床に臥そうとも
わが心は乱れず、安らかなり
さすれば、この世も良きものとなろう
蔑(さげす)まれ、満身創痍となりながら
最後の勇気をふりしぼり
男が一人、届かぬ星を目指したのだから見果てぬ夢
阪井桜介 訳
見果てぬ夢をゆめみ
敵うはずのないやつと戦い
悲しみをこらえて
勇者さえ踏み入らぬ地をさまよう
誰も手を出さない悪を正し、
今よりもっとよくなることを願う
遥かより、澄み渡る清さを愛し
腕が疲れ果てても
夜空の向こうの星に手を伸ばす
あの星に続くことがぼくの願いだから
どんなに儚く遠くても
すべてを君にあげるよ
空っぽになってもいいさ
死んでも構わない
名誉と正義が生きるのなら
わかっているんだ
心から輝かしい真実の旅を
求め続ければ
ぼくがこの世から消えていくとしても
幸せに満ちて心安らかであることを
そして、世界がもっとよくなるだろう
嘲笑われ傷だらけになったとしても
残された勇気を振り絞っていくよ
あの星の許に、向かって!成し得ぬ夢
MAGICTRAIN
成し得ぬ夢を夢見、服せぬ敵と戦い、
耐え難き悲しみに耐え、
勇者が行き難きところへ走る
正し難き誤りを正し、
今の君よりもより良くあらんとし、
君の腕が疲れ増すも挑み、
届かぬ星に届かんとする!
これがあの星に従い私が追い求めること!
たとえどれほど望み無く遠かろうとも
与え続けよう、もはや与えるもの無きときも
死さえ厭わぬ、誉れと正義が生きるなら
私は知っている。
私がこの栄えある挑みに誠であらんとするならば
我が安息に横たわるとき、
心は安らけく穏やかなることを
そしてこの世がより良くあらんとなるはこれがため
彼の蔑まれ傷に覆われたひとりの男は
なおも最後の勇気の力を振り絞り挑むのだ
届かぬ星に届かんと!夢は稔り難く
森岩雄、高田蓉子 訳
夢は稔り難く
敵は多数なりとも
胸に悲しみを秘めて
我は勇みて行かん
道は極め難く
腕は疲れ果つとも
遠き星をめざして
我は歩み続けん
これこそ我が宿命
汚れ果てし この世から
正しきを救うために
いかに望み薄く 遥かなりとも
やがて いつの日か光満ちて
永遠の眠りに就くそのときまで
たとえ傷つくとも
力ふり絞りて
我は歩み続けん
あの星の許へ見果てぬ夢
訳詞の世界
かなわぬ夢を夢見て
無敵の敵と戦う
耐え難い悲しみをこらえ
勇者でさえ恐れるところへも進む
正しがたき悪を正し
彼方より純粋で高潔な愛を捧げ
たとえその腕が疲れ果てていても
届かぬ星を求める
その星を求めて我 探求の道を進む
たとえ一分の望みもなかろうと
道がどんなに果てしなくても
正義のために戦おう
疑問もためらいもなく
勇んで歩を進めよう
天の定めとあらば地獄までも進もう
この輝かしい探求の旅に
ひたすら忠誠を尽くしたならば
やがて永久の眠りにつく私の心は
穏やかに そして安らかに横たわるだろう
そうして やがては世の中も正されるだろう
男は 嘲笑され傷を負っても
最後の勇気を振り絞り
届かぬ星を追い求め
無敵の敵と戦い
かなわぬ夢を夢見たのだから